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おはようございます。
「たかが世界の終わり」という映画を観てきました。
カンヌ映画祭のグランプリを取った作品です。
さて、「自分を責める」についてのお話しです。
自分がうまくやれなかったことについて
あれこれ思ってしまうのは
誰にでもあることですよね。
そのつもりがなくたって
誰かを傷つけてしまったり
ベストにやれなかったということは
残念ながら
どうしても起こってしまいますから 😥
自分の期待通りに物事が進まない時に
私たちは、自分自身か
他の環境(ほとんど場合誰か他の人)の
どこかにその原因を探そうとします。
「なんでこんなことが起こったのだろう!」
⇒ その原因を探す
というのが、脳の中で起こります。
脳には、「わからないことを
そのままにしておくことができない」
という性質がありますからね 😉
そこから、自分か他人かをその原因として
見つけて認定するわけです。
ここで、自分のなかに
原因を探しやすい傾向の人は
「自分のできなかったこと」を
見つけることが多くなります。
自分に「うまくできなかったこと」が
あると思うと
気分が下がってしまいますよね。
この感情が罪悪感です。
この感情は、できれば味わいたくない
嫌なものですよね。
でも、どんな感情でも
実はその感じているご本人を
助けるために生じているエネルギーなんです。
だから、嫌な気持ちであっても
無理に「ポジティブ!」にするために
その気持を感じないようにするよりも
ちょっと勇気入りますが
ちゃんとその感情の本来のメッセージを
受け取ったほうがいいんです (^^)
では、その「罪悪感」の
本来の役に立つメッセージってなんでしょう?
人間が「罪悪感」を感じる本来の目的は
「望まないことやってしまったことを受け入れる」
「相手に謝る」
「その嫌なことを繰り返さないようにする」
というステップを踏むことです。
この嫌な気持ちを
もう味わいたくない!と思わせることで
状況に向かい合って
この先の似たような状況では
「同じ失敗を繰り返さない」ために
感じている感情=エネルギーなんですね。
つまり「罪悪感」のメッセージは
「ちゃんとリカバリーして
同じ失敗を繰り返さないように
何ができるかを探してみよう」ということなんです 🙂
ところが
「自分がうまくやれなかった」時に
ずっと自分を責めてしまうことがあります。
それは、本来の「罪悪感」エネルギーの
正しい?使い方ではないですね 😯
そもそも、「責める」というのは
「言葉で落ち度を咎めることで
嫌な気持ちにさせて
相手を思い通りにするようにすること」です。
もし「まずいことをした」と
すでに思っているならば
さらに追い詰める必要もないですよね。
「思い通りにさせたい」のならば
ちゃんと「○○して欲しい」と言うほうがいいのです。
ただ落ち度を責めているだけだと
ひたすら嫌な気分になるだけですね 🙁
むしろ、責められてるうちに
「他のやり方を探そう」という
意欲さえなくなってしまいます。
責め続けることで
メッセージを読み取られることもなく
過剰になってしまった罪悪感からは
非常にまずいことが起こってしまうことがあります。
そもそも何か一つのことが
上手にできなかったことから
始まっただけなのに
「悪い自分」「できない自分」が
拡大することで
「あれもこれもできない自分」になり
「そもそも自分はダメ」と思うようになるのです。
自分に自信がなくなるので
他のこと全般にもオドオドするようになり
自分が嫌いになります。
どうしたらいいのかわからなくなるので
最悪世界からひきこもってしまうことさえ起こります。
どんどん、本来の「罪悪感」の目的から
遠ざかってしまいますよね。
みどりさん
『ええっ!
・・・本当ですね 😯
私、あれこれ自分のできないことを
思い出していて
自分のことが嫌いになってました~』
追伸:
「たかが世界の終わり」は
自分の感情にうまくつながれずに
人を責めてしまう家族のお話しです。
愛はやっぱり、愛だからこそ
素直に表現することが大事だと思いました。
自分にとっても、相手にとっても♡♡
今週のテーマのブログです
① 罪悪感
③ どうしても自分を責めてしまう時には?
④ 誰かを傷つけてしまったと思う時
⑤ 消えにくい罪悪感
⑥ 思春期と罪悪感
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