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母が突然いなくなって、一人で私が思ったこと・・のお話
母が突然いなくなって しまいました。
数日前に結婚式を挙げたばかりでしたが
夫のご家族にお世話になって
今度はりっぱなお葬式をあげてもらいました。
お骨にしていただいので
母を東京まで
連れて帰れることになりました。
その時はまだ
私たちの新婚旅行の最後に
東京で予定していた
結婚披露パーティーに間に合う日程でした。
パーティをどうしようかと
夫や家族とも相談しました。
結局、実家の家族と一緒に
夫と私も東京に行って
パーティはそのまま
開くことにしました。
間際に中止にして
色々な方に迷惑をおかけしたくない
そんな気持ちもありましたが
中止にするとすれば
母のことを大勢の人に伝えるのが
辛かったのもありました。
東京までの電車で
4人がけのボックスの一つに
母のお骨を置きました。
電車が揺れるたびに
「来る時も母は
かなり頭が痛かったに違いない」と
私はぼんやり思っていました。
私が家を出るずっと前から
痛かったんだろうな
なんで病院に行かなかったんだろう
入院になったら
結婚式が延期になると
思ってたからだろうか
私のためにムリしたんだ
でも、本当は
お嫁に行ってほしくなかったのかな
私はどうすればよかったんだろう
父と弟と妹は
急に3人になってしまったな
これからどうなるんだろう
私のせい
私はどうすればよかったんだろう
そんな言葉がいつも
私の頭のずっと奥で
うごめいていたようです。
でも、その時は
とにかくお葬式や片付けなど
その時の自分のすべきことを
するだけで精一杯だったので
自分でその先を考えたり
自分の気持ちを感じることが
できませんでした。
時々気がつくと
涙が勝手に
流れていることもありました。
物事をちゃんと考えたり
自分の気持を感じてしまうと
自分は何もできなくなる
これ以上周りに迷惑を
かけては絶対にだめ
そんなことで本能的に
色々な思考や感覚・感情を
フリーズさせていたのかもしれません。
あまりに深く押し込めたので
この時に本当は色々と
感じていたたくさんの気持ちを
私はつい数年前まで
リリースすることができませんでした。
私の気が付かないところで
心の奥底にずっと潜んでいて
その後の色々な場面で
私の行動に影響を与えていたのですが・・
そんな感情のしくみも
その時は知りませんでしたし
数十年後に自分が
感情を扱う人になるなんて
全くわからないことでした
(^^)
このお仕事をするようになってから
自分の様々な思いを
安全にリリースすることができました。
その時にようやく
母のことを自由にできたようにも感じました。
パーティには大勢来てくださり
そのあと私は夫と酒田に帰りました。
私は
「母は私が幸せになることを
願っていてくれたはず。
だから私は
幸せにならなくてはならない
そして佐藤家に少しでも
恩返しをしなくては」
そう強く思うようになりました。
「田んぼの端っこで叫ぶ」に続きます 🙂
追伸:
いじめや友達の裏切りなど
その子にとって辛過ぎることがあると
頭や心や身体がちゃんと
動かなくなることがあります。
その時にはいつものその子らしくない
言動が見られるかもしれません。
周りの方も驚かれると思いますが
それはその子の精一杯のサバイバルです。
どうぞ専門家の手を借りて
安心させてあげてくださいね
今週のテーマのブログです
① 思春期コーチの誕生ストーリーその4:結婚と母と、母になるお話
② 披露宴で、母に花束と感謝を伝えられた・・というお話
③ 人生における強烈な体験が続けて起こった・・というお話
⑤ 田んぼの端っこで、大声で叫ぶことになる・・というお話
⑥ 全く新しい次元に足を踏み入れることになった・・というお話
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