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思春期コーチの誕生ストーリーその3:就職と遠いところに嫁に行くお話
思春期コーチの誕生ストーリーその3
今週は就職・結婚と
人生の大きな曲がり角のお話です 🙂
(パリまでのお話はこちらです。
高校・大学時代はこちらです 😳 )
好きなことを学ぶ楽しさを
ようやく見つけた私ですが
気がついたら4年生になっていました。
ふと周りを見ると
みなさん就職活動をしている様子です 😯
はて、私はどうしよう?
当時私の頭のなかには
卒業する→ そのうち結婚
→ 子どもを育てる
という図式しか
相変わらずありませんでした 😯
それが当時の多数派だったとしても
人の思い込みって
そう簡単には変わらないものですね~
まあ、私が
強烈なぼんやりさんだったし
おつきあいをしていた未来の夫と
「そのうち結婚しよう」という
話しになっていたのもあって
それ以外の発想さえ浮かびませんでした
┐(´д`)┌ アイカラワズ
未来の夫は
山形県酒田市出身です。
末っ子長男で「家を継ぐ人」でした。
私のうちも古いところがあって
「長男は弟だから
弟が家を継ぐ」という
前提がありました。
「えっ、私は大きくなったら
どこかに出て行くことを
期待されてるの? 😯 」
幼稚園の頃に
大人たちの会話を聞いて
びっくりしたのを覚えてます 🙄
まあ、私の実家の場合は
「継ぐ」と言っても
戦後小さくなってたので
名字や家屋敷、お墓くらいでしたが
未来の夫の方は
継ぐものがもっと色々ありました。
全く知らなかったんですが
家に屋号があるような
代々続く大きな農家の長男だったんです。
親戚も大勢いる
「本家の跡取り」だったんですよ~
テニスサークルでは
そんな雰囲気ゼロだったのに
!!(゚д゚)!!
お付き合いが深まってから
そういうことを知って
初めて酒田に遊びに行きました。
その時お父さんから
「うちはこういう家なんだよ」と
先祖伝来の巻物を見せてもらいました。
「勤勉に働いて皆を大事にしなさい。
田畑を減らすことは
絶対にあってはいけない」
・・そんなことが書いてあったようです
(実は達筆すぎて
ほとんど読めなかったので
解説してもらいました )
それに
「年三回
お正月と村の祭りとお盆には
親戚一同が何十人も自宅に集まって
座敷で酒席をするんだよ
それを女性が切り盛りする」
そういう家だけど来る?
お父さんの
優しさだったと思うのですが・・
パリ生活で
「どこでも生きていける」と
妙な自信を握っていた私は
「日本だし大丈夫」
\(・ω・)/
・・・・
私の未来予想図は
そのまま温存されました
\(・ω・)/ \(・ω・)/
この頃は男女雇用均等法が
できる直前です。
今では絶滅した「花嫁修業中」が
ひとつの肩書として
社会で立派に通用してました。
女性はクリスマスケーキと同じで
25(日・歳)を過ぎると
大安売りされる
そんなお話しもセクハラも
まかり通っていた頃でした。
今考えるとずいぶんですね
٩(๑`^´๑)۶
いつかお嫁に行くけど
それまで花嫁修業はいやだな~
しばらく仕事でもしようかな~
そんな動機で
就職活動をしていた人の群れに
私も紛れることになりました。
「奇跡の質問!」に続きます 😀
追伸:
社会のアタリマエって
変わるもんですね。
人生100年時代なのに
これからはもっと早いペースで
アタリマエが変わりそうですよ~ 🙂
今週のテーマのブログです
② 初めての就活!奇跡の質問をしてもらった・・というお話
③ ぼんやり娘、日本い著の部署に配属される!・・というお話
④ 結婚は人生の一大事!・・のはず??というお話
⑤ ぼんやり娘、初めて叱られて驚く!・・・というお話
⑥ 200:10の結婚式に向かって出発!・・というお話
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