不登校は恥ずかしいのではなく「不自由な状態」
おはようございます。
この土日はご近所町内会でのお祭りでした。
雨でもお神輿賑やかでした 🙂
さて
「不登校は恥ずかしい」とサヨナラして
もっと自由になろう!というお話です。
不登校は
子どもがもうこれ以上自分では
どうしようもないと感じた時に起こります。
自分ではどうしようもないから
危険を避けてじっとしていることで
エネルギーを失わないようにして
また溜めようとする行動です。
それはちっとも恥ずかしくないですよね 😀
不登校は「恥ずかしい」のではなく
危険で固まってしまってる
自由に自分らしく動けない「不自由な状態」なんです。
「行こうと思えば行ける」のが
本来の自由な状態ですから
不自由で不便です 🙁
不自由からは脱出したいですね。
子どもが不登校の時には
その子なりの「現実の理解」が
「危険だから動けない」になっています。
ここでもし、うまくその子が
「自分の現実」を誰かと共有できれば
その人のサポートで
自分が理解していた「現実」よりも
実際の現実はもっと優しいことに気づけるかもしれません 😀
「誰も助けてくれない」と思っていても
実は味方が思っていた以上にいることに
気づけることもあるでしょう。
「もうなすすべがない」と思っていても
別の視点からできることを見つけたら
それをやってみたくなることもあります。
「どうせ言ってもダメだ」と思っていても
上手な言い方で
「こうして欲しい」と伝えてみれば
協力してもらえることもあるでしょう。
自分の世界の見方を広げたり
自分のやり方の幅が広がったり・・・
そういうチャンスにできたらステキですよね 😉
特に、思春期は人間脳が育つ時期です。
ぜひ、人間脳の戦略
「人と協力する」を使って覚えてほしいものです。
戦略は何度も使っていると
それが自分にとって使いやすいものになります。
すぐに怒って人を動かそうとする人は
哺乳類脳の「戦う」が癖になっていて
ちょっとしたことで戦いモードになります。
ストレスがかかると逃げてばかりの人は
ちょっとしたことでも向き合おうとしなくなります。
ストレスがスムーズに解消する可能性が一番高い
「人と協力する」が使いにくくなるのです 🙁
「頑張りやさん」も
「一人で頑張る」だけでは疲れます。
自分だけではイマイチの時に
人の手を借りるのは恥ずかしいことではありません。
新しい情報や色々なものの見方があることを
体験することは大事ですね
色々な選択肢のなかから
自分にとってベストなものを選んでいきましょう!
このやり方を覚えれば生きる力が育ちます。
人の手の暖かさがわかったら
何かで他の誰かを助けられるようになります。
ますます人と繋がれて、世界が広がります。
自分がいつも一人で完璧でなくても大丈夫だと
思えるようになります。
人にはいろいろな状態があって
いつも強くなくても大丈夫だと思えます。
生きるのがずっと楽になりますね 😉
「不登校は恥ずかしい」とサヨナラすることで
あなたもお子さんも
より自由で楽しい生き方へのシフトが始まります
\(^o^)/
合わせて読みたい記事:
知っていれば安心!思春期の不登校をこじらせる4つの原因と関わり方
追伸:
お神輿の通り道には
ビールや氷水などの給水所があります。
そこで待っている方々もみなさん
とても楽しそうな笑顔です。
お祭りっていいな〜
次のテーマは
「思春期の子どもがわからないのがアタリマエの時代?」です。
今週のテーマのブログです
① 不登校は恥ずかしい?生きるための行動です!
② 不登校はその子なりの「生き延びるための行動」
③ うちの子だけ不登校なのは恥ずかしい
④ 不登校を恥ずかしいと思ってしまうと失ってしまうものとは
⑤ 「恥ずかしい」とサヨナラして不登校から脱出する3ステップ