思春期の子どもについてもっと知りたいことを
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田んぼの端っこで、大声で叫ぶことになる・・というお話
田んぼの端っこで
大声で叫ぶお話です。
『頑張るしかない!』と
強い思いを胸に
私は東京から夫と酒田に帰りました。
暖かく迎えてもらって
87歳のおばあさん
お義父さんとお義母さんとの
3世代、5人暮らしが始まります。
夫はすぐに通常出勤です。
私は気合だけはテキパキと
荷物の整理をしていました。
時にはおばあさんに連れられて
おばさん6名とおじさん1名の家を
それぞれご挨拶にまわっていました。
(お義父さんの兄弟はみな
車ですぐ行ける場所に
住んでいました 😯
東京や他の場所に行った人が
8人兄弟のうちに一人もいないのも
珍しいですね)
家でじっとしてもいられないので
私は5月の終わりから
全国展開をしている
精密機器の製造会社で
働くことになりました。
でも、まだそこで働き始めるまで
時間があります。
当時お義父さんは
お米づくりだけをしていて
あとはお母さんが枝豆を
夏に出荷しているだけでした。
二人とも、冬の間はゆっくり
過ごしているようでした。
4月。
ようやく酒田も春めいてきて
今年のお米作りの準備が
始まる頃になりました。
私はお義父さん・お義母さんを
お手伝いすることにしました。
二人は『無理しなくていいから』と
言ってくれたのですが
私は「なんとか恩返しをせねば!」
と鼻息荒く
「手伝わせてください」とお願いしました。
お米づくりといえば田んぼしか
イメージできなかった私ですが
お米ってその前に苗になるまで
別の場所で育てるんですね。
苗床に種植えをしたり
それをビニールハウスに並べたりと
作業が結構、重労働です。
植物の生育状況に合わせるので
一気に大量に同じ作業をします。
同じ動作を数日ずっと繰り返し
また別の作業を数日する。
そんな働き方でした。
私は張り切っていましたが
作業が変わるたびに
毎回違うところが筋肉痛でした
~~(><)~~
そして5月の連休が終わる頃
酒田では田植えが始まります。
田植えはほとんど機械でするのですが
ビニールハウスから田植え機械まで
苗を運んでいくというお仕事があります。
私が軽トラックでその運び役を
仰せつかりました。
お義母さんが田んぼの脇で
運ばれた苗を機械にセットして
お義父さんが運転して植える・・
という分担です。
私は初めての動きなので
あたふたと段取りが悪く
二人を待たせることもありましたが
居ないよりは
居たほうがマシくらいには
なっていたようです 😉
基本、体を動かすのは好きですが
決められた同じ作業を
一人で何度も何度も
ひたすら繰り返すのは根気が入ります。
作業しながら
「お米は一粒でも粗末にしてはいけない」
とよく親から言われていたのは
こういうことだったんだ~と
思ったりしてました。
あるお天気の良い日に
ついに機械植えが終わりました 😀
あとは機械が回れない
田んぼの端っこに
苗を手で植えていく作業だけです。
私は今日も田んぼまでの苗運びでした。
『毎日頑張ってくれるから
助かるよ。
そうだ、一度田んぼに入ってみるか?』
お義父さんが田んぼの中から
そう声をかけてくれました。
えっ、田んぼで田植え!
ニュースで子どももよくやってるやつ?
楽しそう!
なんか、田植えの主役っぽいし♪
\(^o^)/
私は苗かごを下げて
意気揚々と田んぼの中に侵入しました。
あ”??
足、いつ止まるんでしょう?
ずっと入っていく感じですけど??
長靴、間に合わないんじゃないですか???
ぎょえぇぇぇぇ~
晴天の広い庄内平野
見渡す限りの田んぼのなか
東京から来た嫁は
命の危険を感じて
思わず叫んでしまったのでした
田んぼの中で唯一のワープゾーンに
自分だけ落ちたかと思いました
(ΦωΦ)
その晩私は友達に
「元気です。
田んぼで田植えをしました」
と手紙を書きました (^o^)/
「全く新しい次元」に続きます 😀
追伸:
87歳のおばあさんはマメな人で
いつも庭で草とりや
掃除をしていました。
私には笹巻やしそ巻という
郷土料理の作り方や
椿の花でお香の作る方法などを
いっぱい教えてくれました。
今週のテーマのブログです
① 思春期コーチの誕生ストーリーその4:結婚と母と、母になるお話
② 披露宴で、母に花束と感謝を伝えられた・・というお話
③ 人生における強烈な体験が続けて起こった・・というお話
④ 母が突然いなくなって、一人で私が思ったこと・・のお話
⑥ 全く新しい次元に足を踏み入れることになった・・というお話
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