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人生における強烈な体験が続けて起こった・・・というお話
人生における強烈な体験 が
続けて起こった時のお話です。
人生の一大イベントである結婚式を
皆さんのおがげで
無事に経験できた夫と私は
翌朝新婚旅行に出発しました。
初めて一緒に飛行機に乗って
最初の目的地についた途端・・
二人はすぐに呼び出されました。
『至急おうちにお電話してください!』
急いで電話をしに行った夫が
またこちらに走ってきます。
『お母さんが倒れたんだって。
至急戻ろう!』
私は生まれて初めて
頭からすっと意識が抜けて
その場に崩れ落ちてしまいました。
どうやら母は式の翌日に
夫の実家で朝食を頂いてた時に
突然意識を失ったようです。
救急車で病院に運ばれたけれど
意識は戻らないまま。
くも膜下出血でした。
知らせを聞いてから
私はどうやって戻ったのか
いつ詳しい話を聞いたのか
今でも思い出すことができません。
ここからしばらくの記憶は
飛び飛びになっていて
時間の前後がわからない感じです。
母が運ばれた部屋には
同じ病名で
もう何年も意識もなく
過ごしている方もいらっしゃいました。
私は
自分では正気のつもりでしたが
その時には
「この先どうなるんだろう」
ということは少しも
考えることができませんでした。
『数日前から
相当頭が痛かったはずです』
というお医者さんの声を聞いた時に
私の感情や感覚はザクッと
閉ざされてしまったのです。
ただ黙って
母に付き添うことしか
できませんでした。
そして倒れてから2日後
母はそのまま
意識を回復することなく
逝ってしまいました。
51歳。
思えば今の私より若かったです。
母が生まれた愛媛県からも
暮らしていた東京からも遠い
酒田の病院で
突然亡くなってしまった・・・
あまりのことに
何から手を付けていいのか・・
呆然としている
私と父と弟や妹を
優しく包みながら
世話してくださったのは
お義父さん・お義母さんを始めとする
夫の家の人たちでした。
母をそのままでは
東京に連れて帰れないので
夫の実家でお葬式をさせていただき
お骨にすることになりました。
夫の家の人と同じように
家にお坊さんに来ていただいて
りっぱなお葬式をあげてもらいました。
つい先日結婚式のために
集まってくださった皆さんも
また、母のお葬式のために
集まって下さいました。
母は酒田の空の下で
大勢の人に送られて
細い煙とともにお骨になりました。
お葬式が終わったあと
実家の父が義父に
御礼とお詫びを述べた時に
義父はこう言ってくれました。
『嫁を二人もらったと思います』
義母は結婚式だけでも
かなり大変だったのに
ずっとうちの実家の家族の
寝泊まりの世話もしてくれて
さらに家でのお葬式まで
世話してくれました。
本当に大変だったと思います。
それでも愚痴一つ言わずに
黙って支えてくれました。
87歳のおばあさんは
私が火葬場から帰ってきたら
目に涙をためて
頷きながら迎えてくれました。
それらを本当に
ありがたいと思いながらも
私の心は完全にフリーズしていて
うまく泣くことも
何かを考えることもできませんでした。
「母が突然いなくなって」に続きます
追伸:
義父の言葉は穏やかで
責める響きがみじんもありませんでした。
私はその時
顔を上げれませんでしたが
今でもその言葉は
心の奥に残っています。
今週のテーマのブログです
① 思春期コーチの誕生ストーリーその4:結婚と母と、母になるお話
② 披露宴で、母に花束と感謝を伝えられた・・というお話
④ 母が突然いなくなって、一人で私が思ったこと・・というお話
⑤ 田んぼの端っこで、大声で叫ぶことになる・・というお話
⑥ 全く新しい次元に足を踏み入れることになった・・というお話
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