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200:10の結婚式に向かって出発!・・というお話
200:10 だった
私の結婚式に向かってのお話です 🙂
結婚の日取りが決まったら
なんとその年が
「寅年」だと判明しました 😯
トラは千里を駆けるとやら。
特に遠くから来た嫁さんが
千里走って駆け戻っては
よろしくない
・・ということで
私は寅年になる前の年末に
佐藤家に行き
一緒に年越しをすることになりました。
「丑年のうちに来たこと」にするためです 😀
どこででも生きていける
度胸だけはあっても
さすがに私は大緊張でした。
嫁入り道具選びや
年越し・お正月の行事など
かなり色々あったんですが
緊張のあまり
この時のことは断片な記憶しかありません。
それでも、年明けに
親族が何十人も自宅に集まってきて
宴会があったのは覚えています。
「正月礼」と言うそうです。
当時は座敷に何十も
朱塗りの本膳や脇膳を並べて
ごちそうを盛ったり
お酒をふるまったりと大賑わいでした。
特にその年は
「本家のヨメ」の顔を見ようと
いつもより多くの人が来ていたようです 🙂
佐藤家出身のおばさんだけでも
6名もいらして
姉妹だけに全員顔も似ています。
みんな自由にあちこち動くので
名前と顔が一致しません。
分身の術で
10名はいるみたいです
☆~(@_@)~☆
しかも宴会後に
泊まっていく人達もかなりいて
私にはびっくりの初体験ばかりでした!
その次の日だったか
さすがに連日の緊張のあまり
こたつに入っているうちに
私はつい眠ってしまいました。
「ここで寝れるくらいなら大丈夫」と
87歳のおばあさんに言ってもらいましたが
本当は限りなく
気を失ったのに近かったんでした
(^^;)
そう、あちらは
とても親族が多かったんです。
さらに、結婚式には
近所の方々にも
来ていただく地方なので
佐藤家側だけで200名くらい
お呼びするという話になりました。
一方、うちの方の親族は
母が一人っ子、父が二人兄弟と
もともと数が多くありませんでした。
その上、結婚式が酒田だったので
私の両親の親戚の住む愛媛県からは
とても遠いところでした。
一人暮らしていた祖母(母の母)も
当時80歳で
東京までもムリなので
とても酒田まではやってこれません。
私の友達はほとんんど東京でした。
まだ庄内空港もない時代です。
東京からでも結婚式に参加するのに
前後で3日くらいかかります。
大勢の方に東京や愛媛から
来ていただくこともできないので
私の方は僅かな親戚と
大学時代のゼミの教授と
大学時代のクラスメートにだけ
酒田での結婚式にお呼びさせていただきました。
200:10ですが
しょうがないよね~ということになりました。
テニスサークルの仲間や
私の友達には別途東京で
お披露目をすることにしました。
新婚旅行の終わりに
明治神宮のレストランでの
パーティーを企画しました。
私の母はもともと
病弱だったんですが
その頃から横になっていることが
とても多くなっていました。
いよいよ3月!
結婚式には
私だけ2日ほど前から
酒田に行くことになりました。
父と母、弟と妹は
前日から酒田に来る予定です。
さあ、酒田に私が向かう時!
母は起きてこれませんでした。
「気をつけてね」と
ベッドの上で言われました。
ちょっとさみしかったのですが
「すぐにまた会うし」と
私は家の外に出ました。
なんと父が玄関まできて
家の前で私のことを
見送ってくれました。
あまり「優しさ」などを
表現する人でなかったので
私はちょっと驚いたのを覚えています。
実家の前はまっすぐな一本道です。
5分位歩いてから曲がる時に
振り返ってみると
まだ父が豆粒みたいになって
立っていてくれたのが見えました。
春3月
私は実家から旅立ちました。
次週に続きます
(^^)/
追伸:
この新年の大宴会の時には
まだ庄内弁がわかりませんでした。
さらに宴が進むに連れて
酔っ払う人も出てくるので
絡まれても何を言われているのか
さっぱりぽん!でした。
でも、そういう環境は慣れっこです!
笑顔で乗り切りましたとも☆
ლ(´ڡ`ლ)
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