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親の愛情不足:思春期に再度出てくる呪文には気をつけて!
「親の愛情不足」という言葉は、子育てをしていると度々現れてきます。
幼児期には親が「自分は大丈夫かしら?」と気になるものですが、
思春期になると今度は、子どもから「親の愛情不足」だと言われることも・・ 😯
しかし、愛情は見えないし測れもしないので、「不足してない」と確信するのは難しいですね。
子どもに理由を聞いても答えないのですが、周りから「親の愛情不足だからでは?」と言われて、今はそれがとても気になっています。
自分なりに子育てをしてきたつもりですが、「本当に愛情が足りていたか」と言われたら、自信を持って反論できないです。
愛情不足をこれから埋めることはできますか?
「愛情不足じゃないの?」と言われたら、自信を持って跳ね返すのは誰でも難しいものですね。
1980年代に「母原病」という言葉が流行ったことで、一時は「ゼンソクも登校拒否も自閉症も校内暴力も、母親や父親が人間形成のひずみを創ったことが元になっている」という考え方が広がりました。
それまでは「子どものお困りは、全てその子に原因がある」という見方が主流だったので、それ以外の視点として提案されたものです。
今から40年も前のことなので、「良い子・だめな子」「親は酷いが子どもは素直」などの二極的な考え方を支持する人もまだ多かったのでしょう。
今では子どもの振る舞いに対しては
「遺伝的要因よりも環境刺激の積み重ねの方が大きな影響を与える」という考え方が常識になっていますが、
『「環境刺激」は「親の子育ての仕方」だけではない』ということも徐々に広く認識されてきています。
親は子どもにとって、最も大きな影響を与える「環境刺激」になりますが、それだけで子どもの全てが決まるわけではないのです。
もちろん愛情が十分に伝わっていなければ、子どもは拠り所がない感覚を持ってしまうので、それがお困りにつながることは多々あります。
しかし、子どものお困りや問題行動を全て親が原因だとしたり、心理面からだけで「解釈」しようとすると、現実に起きていることから逸れてしまうこともありますので要注意です。
そして、もし子どもに愛情がちゃんと伝わってない・・という場合でも、いつからでもどんな状態からでも、望む未来へと舵を切ることもできます。
それならいいんですが・・
『愛情不足』なんて言われたら、親なら誰でも気になりますよね。
ではこれから、思春期の子育てでの「親の愛情不足」というテーマについて見ていきましょう
目次
そもそも愛情とは?愛情不足ってどんな状態?
愛情とは「相手のことを大切に思う気持ち」で、親の愛情は「子どもを大切に思い、子どものためになることをしようという気持ち」だと言われています。
人間は未熟な状態で生まれてくるので、子どもは一人では生命維持も難しく、誰かに世話をしてもらわなければならない存在です。
人間が身体的に大人になるのは、一番遅い脳の発達が完成する25~30歳です。
そうなんです。
かなり長い時間をかけて人間の赤ちゃんは「自分では自分の世話や欲求を満たすこともできない状態」から「自分の心身を養い、他人の世話もできる状態」の大人になっていきます。
その生きる力を育てるには、赤ちゃんだけではできないので、継続的な大人の愛情が必要です。
多くの場合には、親が一番身近に居て、ずっと子どもを気にかけながら「子どもの幸せな自立に向けて、子どもの生きる力を育てていく」最もメインの人になります。
このことから、子どもを喜ばせたり、欲求を聞いてあげたり、安心させることだけが親の愛情ではなく、時には子どもが嫌だと感じることでも、子どもが自分の心身を養える力をつけるためには、それが大事だと教えることも必要だとわかりますね。
そうなんです 🙂
そしてまた、子どもが発達するための土台の一つに「愛着関係」という、他者との絆を作るベースがあります。
これは多くの場合、乳幼児期の親子関係によって作られるもので、自己肯定感や安心感、人への信頼感の土台となります。
乳幼児期に自分が求めればそれに応えてくれる人がいること。
そしてその人が目の前にいない時でも、きっと戻ってくるし、また自分の呼びかけに答えてくれるという感覚が持てること。
自分は世界で一人ぼっちではなく、自分の不安や恐怖から守ろうとしてくれる人がいると思える。
そんな体験や感覚を持つことで、自己肯定感や安心感、人への信頼感が育っていきます。
やがて子どもの成長とともに、「子どもの呼びかけに応える」は「親が子どもの欲求を満たす」から、「子どもが自分の欲求を自分で満たせるように関わる」に変わっていきます。
ここが本当に大事です!
それによって子どもは「自分もできる」という自己肯定感と、世界でやっていけるという安心感をさらに育てることができるのです。
そうなんです。
ここがなかなか簡単ではないところですね。
子どもが自分でやれるようになるのを待つのか、ちょっと手助けが必要なのかを見極めるのが、子育てでとても大事なポイントになります。
小さい頃はまだそれがわかりやすいですが、子どもの成長とともに、その子のなかにも「全く手を出さずに見守っているのが良いのか」「手助けがちょっと必要なのか」の部分に大きな凸凹がでてきます。
さらに思春期になると「親に自分の領域に手や口を出されたくない」という気持ちも子どもに出てきますので、親の判断がより複雑にもなってきます。
この見極めをうまくやっていくためには、実際に一度やってみて、子どものリアルな反応や結果を見ながら進めていくのが一番です。
わからないことがあれば、専門家に具体的に相談するのもおすすめです!
要は、親の愛情とは「子どもの幸せな自立に向けて、関心を持って見守ったり関わること」です。
子どもには本来自立しようという本能がありますが、特に今のようなストレスの多い社会の中では、時に子どもだけでは迷ったり、何かのきっかけから違う方向に行きそうになってしまうことも多くあります。
今はストレスも、脇道への誘惑も、親世代よりも遥かにたくさんあります。
そんな道に迷ったり見失いそうな時には、親がブレずに子どもの本来進む方向を照らし続けることが必要になります。
それと同じように、何でも親が直接解決しようとしなくてもOKです。
必要な時には、親が信頼できる専門家に繋げてあげられればよいのです
子どものことは親がなんとかしなくちゃ・・・と気が張ってました
大丈夫です (^^)
さて、親の愛情は、子どもが幸せに自立するために必要なものなのですが、ではその「親の愛情が不足している場合」はどうなるでしょうか
乳幼児期に子どもが自分が求めても反応してもらえない・・と感じることが繰り返されてしまうと、子どもは世界に無力なまま一人で放り出されているような感覚になります。
全く誰からも世話をしてもらえなければ生き残ることができないので、そうでない場合には「愛情不足」という状態になります。
自分の呼びかけに応えてもらえることが少ない
自分は常に安全ではないし、この人は今自分に答えてくれるかどうかと常にビクビクした状態で不安で怖がりになります
常に関心を十分に向けられない自分に、価値があると感じるのが難しいので、自己肯定感も低くなります。
そのまま成長すると
●人を信じることが難しくなったり、マイナス思考が強くなる
●承認欲求がとても強くなる
●周りの顔色を読みすぎたり、断るのが苦手になったり、落ち着くことができない
●自分以外は恵まれているから優れているべきと捉えて、他者に高すぎる理想を持つ
そして他者が期待通りでないと落ち込んだり責める。
●人と関わるのを避けたり、または特定の人に依存しようとする
●自分に自信がなく、何かあると「~~された」と被害者ポジションに入ってしまう
●怖がりなので「~~べき」が多く、それ以外を許さない
などということが起こります。
そうなんです 🙁
ただ、このような状態は必ず「親の愛情不足」から起こるというわけでもありません。
親の愛情がたっぷりあっても、何か強烈なできごとから、子どもが「自分はだめだ」「人は信じられない」などと強く思い込むようなことがあればそこから始まることもあります。
そしてそれ以外にも「親の愛情不足」の状態と似たような辛さを抱えてしまうケースには、数多くの要因が考えられるのです。
また、「親の愛情不足」は親の側の理由だけではなく、子どもの側に理由がある場合もあります。
次はそれを見てみましょう
「親の愛情不足」と言われてしまう状態になる理由
「親の愛情不足」と言われる状態になる理由には、親という伝える側の理由もあれば、子どもという受け取る側の理由がある場合もあります。
それぞれの理由は重なっていることも、お互いに影響しあっていることもあります。
親のコミュニケーションの仕方が、せっかくの愛情を伝えられないものになっていることがあります。
その場合には、親に愛情があっても子どもに十分に伝えられないので、子どもからすれば「親の愛情不足」となってしまいます。
日本ではコミュニケーションの仕方をしっかり学ぶ機会が、残念ながらほぼありません。
ほとんどは自分のこれまで接してきた人たちがしていたやり方を真似ながらです。
特にお手本になるのが幼児期の自分の親のコミュニケーションの仕方です。
幼児期には親のやっていることを自分が真似ることで、何でも身につけていきますので、この頃に身に着けたものは意識してどこかでバージョンアップしないとそのまま残っていることも多いものです。
私も「親にこんな風に言われたり、関わられるのは嫌だな」と強く思っていたはずだったのに
ある日自分が子どもに向かって全く同じパターンでコミュニケーションをしているのに気づいて、愕然としたことは何度もあります
(T_T)
一昔前の日本では、「幸せ」は今のような自立よりも「どこか安全場なに所属すること」だと捉えられていたのがフツウでした。
なので「場の雰囲気を読む」とか「場を大事にする」ことや、「目上の意見に従う」が、自分の気持ちや思いよりも優先されることがアタリマエでした。
子育てで目指すゴールが違うので愛情をもって関わる方向も今とは違ったのです。
目上の人の意見は絶対でしたし、子どもも他の価値観を知らなかったので、親が威圧的な言い方や脅すような言い方で一方的に指示してきても、子どもは受け入れるしかありませんでした。
さらに「子どもを認める・褒める・勇気づける・愛情を伝える」はどちらかというと避けられてきたのが日本の一つの特徴でもあります。
「子どもを良くしたい」という愛情の表現が、「ダメ出し」の方に偏っていたのは否めません。
しかし、今や社会は驚くべきスピードで変わってしまいました。
他の国の文化や価値観も多様に混ざり合ったなかで生活していくことが不可避になった今では、「いつまでも変わらずに自分を守ってくれる安全な場」は無くなってしまったのです。
そうなると自分で自分の世話をしていかなければなりません。
個人として自立して生きる力が必要な時代にとっくになっていますし、これからもますますその状態が加速していくのは明白です。
子どもがこれからの時代を幸せに生きるには、自立して生きる力が欠かせません。
親が子どもの幸せを願うなら、自分の親世代の方向とは違う子育てやコミュニケーションが必要になっているのです。
既に今の子ども達は幼児期から、多様な価値観があることや親の知らない情報を知っています。
「目上だから正しいことを知っている」という原則が通じなくなっていますので、子どもなりに納得が行かないと親の言うことをも受け入れません。
「とにかく〇〇しなさい」ではなく「なぜ〇〇することがあなたに必要なのか」を伝えたり、考えさせることが必要になるのです。
それをせずに、「こうすればいい結果になるから」と親が行動の指示ばかりしていると、子どもの方は「自分の気持ちや思いは無視されて、ただ行動を指示されている」としか受け取れないので、せっかくの愛情が伝わらなくなってしまいます。
もったいないですね (><)
また、子どもの「やる気」を伸ばすのには、ダメ出しよりも先に「承認・勇気づけ」があると効果的だということも既に実証されています。
何か改善すべきことに触れる場合でも、先に承認できることを伝えておけば、子どもの存在否定にはなりません。
このようにしてみていくと
あまりに社会の変化が早く進んでいるために、今のお母さん・お父さん世代は親として結構大変なのです。
自分が「基本形」としてきた子育ての方向やコミュニケーションの仕方が、今の時代には合わなくなってしまったのですから 🙄
ただ、お母さん・お父さんもご自分のこれからの人生の時間がまだまだ長いです。
子育てにおいてだけでなく、これからの社会でご自身が幸せに生きるためにも、コミュニケーションのバージョンアップはとても役立ちます!
親がとても忙しかったり、ストレスが多い環境だったり、病気や仕事・離婚や家族の死去などで子どもに十分に気持ちや関心を注げないこともあります。
そのような場合には、子どもを大切に思う気持ちがあっても、それがしっかり伝えられないことがあっても不自然ではありません。
またそのような時には、コミュニケーションを丁寧に進めることも難しいものです。
しかし、子どもの方はそのような親の理由をちゃんと理解するのは難しいので、ただ漠然と寂しさや不安をかかることになることも残念ながらあります 😐
実は、子どもに愛情を伝えるのには、沢山の時間やお金をかけるよりも、毎日10分でも良いので、その子だけに向き合う時間を作るのがおすすめです。
その時間だけはスマホやテレビ・洗い物から手や目を離して、子どもの話を聞いたり、マッサージをしてあげるなどがあればバッチリです!
親自身が、幼少期に様々な理由から愛情不足を感じていたら、「子どもに愛情を持って接する」とか「寄り添う」というモデルが見つからなくて、子どもにへの接し方に戸惑ってしまうかもしれません。
①ででてきたような、かつての「威圧的な行動指示」「脅かして動かされる」ばかりを繰り返し体験してきたら、それ以外の接し方のパターンを知らないので、「それの何が悪いの?フツウだけど」となっている人もいます。
また、頭では「コミュニケーションをバージョンアップしよう」と思っていても、子どもに反抗されるとすぐに感情的になってしまうケースもあります。
「何が悪いの?」という場合には、良い・悪いの話に進むのではなく、「子どもにどうなってほしいか」「そのために今のやり方がいい結果を出しているか」から振り返ってみると良いでしょう。
人は自分で「このままじゃまずい」と思わないと行動を変えられないものです。
誰が正しいかではなく、ご自分に「変える必要があるかどうか」を振り返ってみるのがおすすめです。
どうしても子どもに反抗されると感情的になってしまう、タイムを取ってその場を離れることさえ難しい場合には、一度専門家に相談してみるのがおすすめです。
ご自分の中に過敏に反応してしまう何かがあるのです。
それは、かつては自分を守ってくれたけれど、今はもう要らない反応かもしれません。
それを無理にほじくるのではなく、過剰に攻撃的になるという反応を変えることができます
(^^)
子どもの方に不安や恐怖感が生まれつきにとても強い場合があります。
発達の抜けがある場合です。
発達と聞くと知能の発達を心配される方がいらっしゃいますが、この場合には神経系の発達のことで、胎児の頃から始まる身体の発達の話です。
何らかの要因で発達に抜けがあると、怖がりになるので不安が強くなります。
そのような子は親を求める欲求がとても強かったり、安心を与えようとしても普通の対応では満たされないことがあります。
親は愛情深く接していても、子どもの要求が過大なので、子どもからすると「親の愛情不足」となってしまう状態です。
子どもの年齢がある程度高くなっていると、すべてのことに用心深くなりますので、何かをしてもらっても「やっぱり私は愛されてないのでじゃないか」とぐるぐる考え始めてしまうことで、さらに愛情を受け取リにくくなることもあります。
このような場合には、子どもの発達の抜けを埋めるのがおすすめです。
発達の抜けは、いつからでも埋めることができるので、ご安心くださいね 🙂
また、既に子どもがある程度の年令になっている場合には、セルフイメージや行動パターンが「怖い」から出来上がっていることがありますので、それもリフォームすると良いでしょう。
ピンときた方は思春期最幸家族講座などでご相談ください。
子どもに発達の抜けがあったり、親がいつまでも「察して先回りする」を続けていると、子どもが自分の欲求を言葉にして表現する練習が不足して、うまくできないままになることがあります。
そうなると年齢が上がってきても自分の欲求を暴力や黙り込み・不機嫌・攻撃などの不適切な方法で表すようになります。
それでは親としてはその不適切な行動に目がってしまうので、子どもの真意が分かりにくくなりますし
子どもも「自分の欲求が満たされない」ので不満なままになってしまいます。
このようなパターンでは、親が先回りを止めて「言葉で伝えて」と繰り返すことや、子どもに発達の抜けがある場合には、それを埋めるのがおすすめです。
詳しくは思春期最幸家族講座などでご相談ください。
誰が悪いっていう話じゃないんですね
そうなんです。
「親の愛情不足」という抽象的な言葉でずっと考えていても、「そうじゃない」とも言えないまま、親は罪悪感を背負ってしまいます。
それは子どもにとっても良い影響に全くなりませんので、お互いのために具体的に捉えてみるのがおすすめなんです!
思春期に再度「親の愛情不足」が出てくる理由とは
幼児期には「親の愛情不足」が度々登場します。
多くは親に対して周りの大人がかけてくる言葉です。
その抽象的な言葉のまま扱おうとすると、親は「そうなのかしら」と不安になって子育てや自分に自信をなくしてしまいます。
そうなると子どもにも良い影響はなくなりますので、ぜひ具体的に中身を見ていくのがおすすめです!
そしてまた思春期になると、子どもにお困りや不適切な行動がでてくると、また周りから「親の愛情不足」という声をかけてくる人も未だにいます。
言ってる方が真っ当な知識の基づいている場合は少ないのに、親としては100%の自信を持って反論しにくいだけに、言う方が「的を突いた気分」になってるだけなことが多いのです。
そもそも現象は一つの要因だけで決定されるわけではないのですから、抽象的な言葉のまま受け取って悩む必要は全くないでしょう。
それよりも思春期になると困るのは、お困りが起きた時に子どもが「こうなったのは親の愛情不足だからだ」と言い始めることです。
「親が思い通りにさせようと、行動の指示ばかりしてきたから」
「親は俺のことなんて考えてない」
などと言うのもそれに当たります。
そういう事が思春期に起こるのには、大きく2つの理由があります。
一つは、思春期には再度親の愛情を確認する時期であること。
もう一つは子どもが不安定になった時に親子で「なぜ?」と原因探しになりやすいからです。
思春期になると、家族よりも同年代という広い領域へ関心が向くようになります。
そのために家族との距離を取ろうとして、不器用な場合には反抗期と呼ばれる状態にもなります。
しかし、家族と他人では自分の言動に対する反応は大きく違うものですし、これまでにない価値観にぶつかることもあります。
また、高い理想と自分を比べては凹むことも、思春期では勉強・運動・容姿など色々な側面で起こります。
他にも身体の成長期に依る不安定さもあるなどで、世界中で思春期には子どもの自己肯定感は一時期に下がります。
そうなった時にまた無意識で、子どもは自分の安心基盤を確かめたくなりますので、親の愛情を確認するような事が起こるのです。
驚くことに、日本以外の国では、一時期下がった自己肯定感も数年でまた上がっていきます。
しかし日本だけはいつまでも下がったままなんです。
それのは、愛情表現が少なく、ダメ出しの多い文化の影響もあるので気をつけたいですね。
また、人はなにかお困りが生じたら「なぜ?」と考え始めます。
原因を取り除けば改善するはず、という本能からです。
しかし、自分だけでは原因を見つけられないことも多いものです。
そういう場合には専門家に相談するのが一番簡単で、確実で時間のムダをなくすのですが、思春期の子どもは人に相談するのが苦手なことも多いです。
自立を孤立と取り違えて、「何でも自分でできる、やらなくては」と思っている時期が、特に思春期の始めにはあります。
そうなると、いつまでもぐるぐる「なんでこうなってしまったんだろう」と頭のなかでつぶやき続けている状態になります。
子どもはこれを「考えている」と勘違いすることがありますが、数日考えて答えが出ない場合には明らかに情報不足です。
それ以上いくら考えても新しい情報を入れない限り、新しい答えは出てきません。
ただぐるぐるして自分のエネルギーを失うだけになってしまうのです。
そうやってぐるぐるしていると、結局「自分か他人かが悪い」ということにしか行き着きません。
情報不足だと、そこに行き着くしか無いからです。
ほとんどの場合、「自分が悪くて駄目だ」けど「親も悪い」になっていきます。
そして親を責めながら、そういう自分に自己嫌悪もしています。
かなり辛い状況です。。。
たまに「先生が悪い」「部活の指導者が悪い」「友達が悪い」もありますが、根本的には「自分と親が悪い」になります 😯
特に不登校で家にいるだけだと世界はその二つだけになりますので、ずっとそればかり考えてしまい、どんどん親子で抜け出せなくなってしまうのです。
親も自分なりに色々やっても改善しないと、やがて同じように「自分は無力。そしていつまでも変わらない子どもも悪い」になってしまうのです。
ご安心ください、実はお困りは原因が分からなくても抜け出せます!
それは不登校でも同じです。
また、「なぜそうなったのか」を知りたい場合には専門家に尋ねるのが一番です。
知らない単語があれば辞書を引くのと同じです。
新しい本当の知識を入れましょう!
・・というわけで、子どもや他の人から「育て方のせい」「親の愛情不足」と言われたら、そのまま受け取って罪悪感に乗っ取られることは全く必要ありません。
そもそも誰でも子どもが嫌だと思うことなく、子どものためになる最適なことを100%やれるはずがないのです。
親のお仕事としては、例え子どもが嫌がっても生きる力を育てるためには、教えたり、叱ることさえ入っています。
もし、親としての接し方に改善の余地があったと思う場合には、今から接し方をバージョンアップするのが、自分にとっても子どもにとっても最善です。
罪悪感はただ溺れてしまうと、自分にも周りにも最も非建設的な感情です。
参照:罪悪感:思春期の子どもシリーズ
こちらのブログは少し前のものなので、ページを数枚またいでご参照ください
子どもにお困りがあって子どもが今の状況に苦しんでいる場合にこそ、その課題に直面するのが嫌すぎて「ママのせい」に話を持っていこうと無意識ですることがあります。
本来子どもが向き合わなくてはならない話を避けるために、親の罪悪感に訴えて親を黙らせてしまうのです。
もちろん子どもは計画的にそうしているのではありません。
苦しすぎての破れかぶれの行動です。
ただ、それで親が怯んで子どもの言いなりになってしまうと、今度はそれを多用する方向に行ってしまいます。
親だとしても、人はいつでも愛情100%で完璧に接することなんてできないので、「愛情が足りない」「子どもを最優先してない」「子どもに嫌な思いをさせた」なんてことは誰にでも思い当たるものです。
それはそれで取り組むことができますが、だからといってすべての言動を否定されることが正当な話ではないのです。
もし思い当たることがあった場合でも、まず一度は「それについては悪かったと思ってる。改善するね」としっかり伝えたあとに、「それはそれ、これはこれ」と胸を張って子どもに伝えることが、一つの教育でもあります。
真面目で優しいお母さん・お父さん、「親の愛情不足」という呪文には気をつけてくださいね。
気をつけたい「親の愛情不足」と言われた時のNG対応
ここでは、「親の愛情不足」と言われた時に気をつけたいNG対応についてまとめてみます。
他人に言われて逆ギレすることは表立っては無いでしょうが、子どもに言われた場合にはあるかもしれません。
自分に罪悪感があるほど逆ギレしてしまうこともあるものです。
前述のように子どもが「親の愛情不足」をついてくる場合には、自分が不安で自分の課題に向き合いたくないか、親の行動指示・過干渉をやめさせたい時です。
そして親が逆ギレしてしまうのは、自分にもそう反応せざるを得ない反応パターンがあるのです。
「親の不足をつかれたこと」に逆ギレするよりも、今の子どもの言動はどちらの理由からなのか、自分が逆ギレした本当の理由は何なのかを振り返ってみるほうがお互いにとって建設的です。
対応としては、逆ギレを止めることができればだいぶ前進です。
黙る、深呼吸する、タイムを取ってその場を離れる・・・
そして一人では難しい場合には専門家に相談してくださいね。
親の愛情不足と言われた時に「確かにそういうところがあった」と思い、そのまま黙り込んでしまうお母さんは意外に多いです。
子どもは思春期にもなると自分なりの理屈を展開してきますが、その中に「親の育て方のせい」「親の愛情不足』を入れてくる場合はよくあります。
しかしそれが例え、まったく的はずれな指摘ではなかったとしても、だから子どもの言い分が全て通る・・というのはおかしな話なのです。
もし心当たりがあってそれはまずかったと思うことがあれば
「そのことについては、今では良くなかったと思っている。変えようと努力する」と伝えれば良いのです。
そして
「それとは別に今回の話は・・」と本来の課題にもどすのでOKです。
「100点じゃないと何も言えない」という考え方はとても危険です。
親がそのような反応をしてしまうと、子どもがそんな理屈が通ると勘違いしてしまいます。
どんなことにも◯の部分も△の部分も☓の部分だってあるものです。
そういう視点で世界や自分を見れることが、生きる力になります。
「自分のやり方がまずかった」そう思った時に、人はなんとか埋め合わせをしたくなるものです。
しかしその埋め合わせとして、子どもの機嫌を取ったり、言いなりになるのは双方にとって良い展開にならないことは、心に留めておくのがおすすめです!
★人の間違いを責めれば、相手を自分の思い通りに動かせる
★失敗したら自分の意見を主張できない立場になるのが当然
そんな思い込みを子どもに持ってほしくないですね。
こんな思い込みは社会で通用しないので、子どもにとっても良い影響を与えません。
本当に「まずかった!」と思うことがあれば、「これからの行動を具体的に建設的なものに変えていく」ことで、双方に良い影響が生じます。
嫌な過去を取り消したい!という気持ちは、とても良くわかります。。
それでも、そのためには今からの未来を本気で変えることが最も大事なのです。
私もそんな過去が山積みにあります。
特に子育てではそびえ立つ山脈のようにたくさんあります。
今でも思い出すと「わ~わ~」と、あてもなく走り出したくなることが、全く自慢じゃないけど数多くあります 😥
ただ、その過去をいつまでもリピートし続けても自分のエネルギーが下がるだけで、ひいては周りにも悪影響を醸し出してしまいます。
(これも経験済み (T_T))
悲しい、悔しい、恥ずかと思った時こそ、「そうだね」と受け止めてから、また前を向けるように、一緒に勇気を出していきましょう!
子どもに親の愛情をしっかり伝えるためにできること
子どもに親の愛情が伝わると、子どもの自己肯定感や他者信頼・安心感のベースになりますね。
そのためには、罪悪感に溺れてしまうのはNGです。
親ができることをこれから具体的にやってみるのが、親子にとって最善です。
親の愛情を子どもに伝えるために親のできること
親が自分にできること
子どもにしてあげられること
子どもに愛情が伝わるコミュニケーションの仕方にバージョンアップさせましょう。
ポイントは
*できるだけゆっくりと穏やかな声で話す
*まず小さなことでもいいので、承認や勇気づけをしてから、気になっていることについて子どもの気持ちや思いを聞く事から始める。
(決めつけをしない)
*子どもの言い分は、途中で馬鹿げていると思っても、とにかく最後まで聞く。
*聞いた上でそれについて賛成できること(なければ「話してくれてありがとう」でもよい)を伝えてから、さらに考えが深まるような問いかけをする
などがあります。
親が先回りして子どもの言いたいことを当てに行ったり、「yes,no」で済むような問いかけはなるべくしないのも大事です。
これまで子どもが自分の思いや欲求を言葉にする練習が不足していると、子どもから言葉を引き出すのに時間がかかるかもしれません。
「お母さんはどうしてほしいの?」とこちらの意見を聞きに来る場合もあるでしょう。
これまでと違うことをしようとする時には、始めが一番の踏ん張りどころです。
新しい習慣を身につけるのは「難しい」と感じることもありますが、なんでも2週間続ければ、新しい方が習慣になっていきます。
その山を超えていきましょう!
また、日常的には多くの時間を「子どものために」さかなくても大丈夫です。
忙しい毎日では、まとめて週末に長く一緒にいれるように頑張って時間のやりくりをするよりも、毎日10分でもその子だけに向き合う時間を持つ方が、子どもへの愛情が伝わります。
子どもの好きな話を聞くでも、マッサージしたりされたりでもOKです。
親もスマホから手を離して、その子にだけ関わる時間を毎日持つことで、関係性が大きく変わった事例はたくさんあります。
そしてコミュニケーションをバージョンアップすれば、子育て以外でも大きく人間関係が変わりますので、それも大きな喜びになります (^^)/
今までと違うことをやろうとしたリ、展開を変えようとする時には、それなりにエネルギーが要ります。
ましてや子育ては、自分だけが頑張ればうまくいくことではなく、子どもという自分じゃない人とのやり取りで進みます。
時には自分の感情が暴走しないような余裕
が必要になることもあるのがアタリマエです。
ある程度の心身のエネルギーがないと余裕は持てませんね。
なので、まずはお母さん・お父さんご自身の心身を健康に保つように気をつけていきましょう☆☆
子育ては長丁場(とはいえ、限られた時間ではありますが)なので、長距離走ができる心身の状態でいることが大事です。
どうしてもお困りがある時ほど
「私は良いから子どもを。。」となりがちなのですが
ご自分の体調や気持ちのメンテナンスにもぜひ時間を使ってくださいね
(^^)
自分だけではうまく行かない時には、その道のプロの手も借りてください。
お母さん・お父さん・そして子どもにも、それに値する価値が十分にあります。
子どもにお困りや不適切な行動が見られた時ほど「親の愛情不足」が話題になります。
しかし子どもの言動を全て心や頭の問題だとしてしまうと、身体の課題を見落としてしまいます。
人は身体→心→頭の順番に発達します。
土台が危ういとその上に乗るものもグラグラしてしまいます。
一度は土台から点検するのがおすすめです。
チェックしてみて、土台が大丈夫ならばその上のものを安心してチェックすることができます 🙂
発達の抜けを埋めるのは家庭でこそ可能です。
薬や難しい名前を覚える必要もありません。
そしてその効果は子どもの一生に渡る、大きな良い影響を与えます。
これからの社会では、人とコミュニケーションする力がとても大きな力になります。
価値観や文化背景の異なる人と協働するには、コミュニケーションが欠かせません。
「黙っていれば相手が察してくれるはず」
「自分ひとりで何でもできる」
という考え方はこれからの社会ではお困りに繋がってしまいます。
「NO」も含めて自分の思いを言葉でうまく表現する練習を、思春期のうちにこそ、たくさんしておくのがおすすめです!
なかなかスムーズに言葉が子どもから出てこなかったり、屁理屈ばかりでイラッとすることもあるかもしれません。
それでも「練習」できれば上達しますし、「練習」がなければどんなに才能があっても使えないままになります。
それではもったいないですね
急がば回れ、とつぶやきながら、ぜひお子さんの言葉を引き出して見るのがおすすめです!
そうやってみたら、これまでは無口だと思っていた子がある日からいきなり饒舌になってびっくりした!という事例もこれまでに数件あります~ (^^)
親の愛情不足:おわりに
でも具体的に何が足りなかったとか多すぎたとかまでは、考えてみたことはありませんでした。
ただ後悔と罪悪感で「取り返しがつかないことをしたのでは?」と毎日不安だったんです。
今日は具体的に取り組めることが沢山分かったので、本当にホッとすることができました
どうしても漠然とした言葉のまま悩んでしまうと、抜け出せなくなってしまいます。
ぜひ、具体的に見てみてくださいね
これから子どもと話すのが楽しみです
❤❤あとがき❤❤
「親の愛情不足」とは、かなり抽象的な言葉です。
何をするのが愛情で、どうすれば不足じゃないのかは、実のところ誰にも分からないものなのです。
また、親だって一人の人間です。
常に子ども第一で、自分の個人的な欲や怖さは完全にコントロールして・・なんてことはできません。
そのバランスが大事ですが、だからと言って、どれくらいの割合ならそれが「許されるのか」なんてことも誰にもわかりません。
親だから常に100%の愛情で子ども優先で・・・にこだわる必要もないのです。
今の自分の気持ちに子どもへの愛情もあれば、個人の欲や恐怖があることに気づくことから始めればいいのです。
アドラー心理学では「不完全を認める勇気」という言葉があります。
人には常に完全でありたい、自分も他人も傷つけたくないという健全が思いがありますが、どんなに努力してもその思い通りじゃないことが起きてしまうのが人間の日常です。
「誰が悪い」「誰が間違った」にこだわることから抜け出して、不完全な自分だけど「どうなりたいのか」から始めていきましょう。
「うまくやれてないのに、どの口が言う」がまかり通るなら、誰も何も一切望めなくなってしまいます。
自分の不完全さを認めて、そこから少しでも改善できればそれは素晴らしいことなのです。
それを「成長」と言います。
そして自分の不完全さを自分で認めることができれば、他人が不完全あることも「しょうがないな」と思える範囲が広がります。
罪悪感でぐるぐるするよりも、望む未来のために、どんなに小さくても今できることをする
親がそんな姿を見せることこそ、子どもの生きる力に繋がります
(^^)/
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気づかずに我が子を「察してちゃん」 にしないコツ:思春期の子育て
よかれと思ってやったのに・・親子コミュニケーションがうまく行かない時
動画バージョンはこちらです。
音声だけお聞きいただくこともできます。