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思春期コーチの誕生ストーリーその4 :結婚と母と、母になるお話
思春期コーチの誕生ストーリーその4
今週は「結婚と母」についてのお話です 🙂
(パリまでのお話はこちらです。
高校・大学時代はこちらです
就職とお嫁に行く話はこちらです 😳 )
春3月、まだ道に少し雪が残る頃
私の結婚式が行われます
前の日の夕方に東京から
父母と弟と妹も来てくれました。
当時は東京の実家から酒田まで
新潟周りで電車を乗り継いで
7時間以上かかったと思います。
5人で最後の夕飯を
ホテルで食べようとなりましたが
母は『頭がいたいので
部屋で休んでいる』と言いました。
ちょっと残念だな、
と思いましたが
4人で夕食をとって休みました。
そしていよいよ当日です!
早朝から
文金高島田つき打ち掛けの
花嫁衣装の着付けをしていただきました。
そして多くの方がたに
参列していただいたなか
午前中に滞りなく
神前結婚式をあげました
(*´ω`*)
式を無事に挙げられたので
ちょっとホッとしましたが
実は、文金高島田のかつらって
ものすごく重いんです。
十二単とやらの打ち掛けも
ずっしり重いので
歩くだけでも大変でした。
しか~し!!
当時はこの後
200:10の披露宴の前に
もうひとつ行事がありました 😯
結婚式が終わったらすぐ
文金高島田がぶつからないように
リンカーンか何かの専用車に
私と母と仲人の奥様だけで
乗り込みました。
他の人達も皆
それぞれの車に乗り込みます。
そう、みんなで
嫁ぎ先の家まで一度行くのです。
しかも、わざわざ
町区の端っこで降りて
家まで「おねり」をするんです。
おねり?
私も初耳だったんですが
お嫁さんは町区の入り口から
嫁入り先のおうちまで
家族と一緒に歩いていくんです。
町区の方がたに見ていただいて
ご挨拶をするんですね~
いわいる、嫁入り行列でございます
\(^o^)/ ウホー
当日はありがたいことに
とってもいいお天気でした!
まず、おねりの先頭には
男の人が酒瓶を持って立ってくれます。
そして、その方の
『嫁が来たぞ~! 嫁~!!』と
という響き渡る大声での先導で
おねり行列が出発です!
町区の人々が大勢道の両脇で
暖かく迎えてくださるなかを
文金高島田姿で私が
しずしずと歩くわけでございます。
実家の母や父も
私の後を歩きながら
道の両脇の皆さんに
ご挨拶をしておりました。
この時に『嫁来たぞ~』の他にも
お米を撒かれたり
子どもにお菓子を配ったりとか
色々なことが
あったような気がします。
でも私はそのカッコで歩くだけでも
「初めてのガンダムスーツ」
みたいだったので
全く余裕もなく記憶もありません
‹(*>_<*)ノ
夫の家で神棚と仏壇にお参りしてから
椅子に坐ることができた時に
「天国♡」と思いました。
その時には家で、他にも
何かしたのかもしれませんが
とにかく周りの人の指示通りに
動くことだけでいっぱいいっぱいでした。
ほんと、文金高島田と十二単って
長時間着るとか
それを着て動くとかするもんじゃありませんね~
┐(´д`)┌
あなたも着用する時は
気をつけてくださいね♡
でも、わざわざ式場に
専用車があったということは
当時のお嫁さんはおねりをするのが
フツウだったんでしょうね。
私が大きかったので
特別きつかったのかな?
あらら、それなら
あなたにぴったりなサイズなら
文金高島田と十二単も
あなたはいけるかもしれません!
(・∀・)/ ヨカッタヨカッタ
・・私がかろうじて覚えてるのは
家から式場に戻る車の中で
仲人さんが
「いい結婚ですね」と
言ってくださった時に
うちの母が
「はい、ありがとうございます。
でも本当は嫁に出したくないですよ
こんなんでもカワイイ娘ですから」
と笑いながら返事をしたことです。
ええ~っ (╯°□°)╯
そんなこと思ってたの?
文金高島田をはぎとって
遠投したい欲求に耐えながら
私は驚いていました。
「披露宴で」に続きます 😀
追伸:
結婚式の日はただでさえ
猛烈に忙しいのに
自宅にもお客さんが
たくさん来るわけですから
特に義母は本当に大変だったと思います。
感謝です 🙂
今週のテーマのブログです
② 披露宴で、母に花束と感謝を伝えられた・・というお話
③ 人生における強烈な体験が続いて起こった・・というお話
④ 母が突然いなくなって、一人で私が思ったこと・・というお話
⑤ 田んぼの端っこで、大声で叫ぶことになる・・というお話
⑥ 全く新しい次元に足を踏み入れることになった・・というお話
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